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「何もしない」ということ

 

よく自分は「何もしない」と決めたのなら、それはそれでちゃんとした選択だよ!と子ども達に話しています。だから、フリースクールでも何もしないことを選択し、一日何もしないでいることを認めています。

「学校へ行かなくてもいいんじゃない!」の時と少し似ていますが、「何もしない」ことを正当化するのはちょっと違うんじゃないですか?と問われることがあります。

何もしないことは、何もしていないのだからダメなのでしょうか?

では、僧侶が行う座禅は「何もしてはいけない」のですが、これも無意味でダメなことなのでしょうか?偉い和尚さんにそう言える方はいらっしゃいますでしょうか?

自分の実家が寺であるということもありますが、よういいません。
では、何が違うのでしょうか?

自分は何も変わらないと思っています。
ちゃんとした座禅、あなたは出来ますか?もしくは、知っていますか?
座禅は簡単にいうと、姿勢を正して座り、精神を統一させることで自分と向き合うという仏教の修行方法のことです。

強いて変わる部分は、姿勢と子どもの思想を主体に良し悪しを決めているかどうかぐらいだと思います。
では、子どもが何もしないことを選択した時には、プチ座禅をしているかの様になるように、大人の知恵を持って、導いてあげればいいのではないでしょうか?
そうすれば自分と向き合ういい機会になるかもしれませんよね?

それさえできれば「何もしない」という選択であっても、一種の座禅ですので問題ないんじゃないでしょうか?

ということは、大切なのは子どもではなく、それを導く大人にかかっていると言っても過言ではないかもしれませんね・・・頑張ります。

 

最終更新日:2022/09/27(火)19:09

 
 
 
 
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